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卵が先か鶏が先か、誰が言い出した?

「卵が先か鶏が先か」という問題は、因果性のジレンマを表す古典的な哲学的問題です。この問題は、生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものであり、教養的な文脈で使われることが多いです。文字通りの答えは、初めて鶏の卵を産んだ鶏以外の一個体が鶏の存在を規定したと言えますが、メタファーとしての視点では、互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘しています。

この表現の起源については、明確な記録はありませんが、14世紀の『健康全書』に関連する挿絵にこの問題が描かれていることから、少なくとも中世には既に知られていた問題であることが示唆されています。さらに、この問題には様々な学問分野からの解釈があり、遺伝学や進化生物学では「卵が先」とされ、神学では「鶏が先」とされています。また、仏教では「どちらでもない」という立場を取っています。

このように、「卵が先か鶏が先か」という問題は、単なる生物学的な問題を超えて、哲学的、宗教的、科学的な多様な解釈を生み出してきました。そして、この問題は今日でも多くの人々にとって興味深い議論の対象となっています。

 

「卵が先か鶏が先か」という問題に似た言い回しや表現は、一般的には因果関係のパラドックスや循環論理を指摘する際に使われるものです。

無限の回帰(無限に遡る原因を問うもの)
モビウスの帯(表と裏が区別できない循環構造)
ブートストラップのパラドックス(自己生成の循環)
これらの表現は、ある事象が別の事象を引き起こし、その結果がまた最初の事象に影響を与えるというような、原因と結果が明確に区別できない状況を説明するために用いられます。日常会話では、このような表現は比喩的に使われることが多く、複雑な問題やジレンマを端的に示すために便利です。また、哲学や論理学の議論でしばしば登場するテーマです。

20210213 Atsuta Jingu 1