「日本」という国名は、7世紀から8世紀初頭ごろに使われるようになったと考えられています。
具体的な史料が残っていないため、正確な由来や誰が名付けたのかについては諸説ありますが、一般的には以下のような経緯で名付けられたとされています。
天武天皇の時代に「日本」という国名が表記されていたとされる飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が施行された689年から、もしくはそれ以前から使用されていた可能性があります。
聖徳太子が隋の皇帝に送った文書で「日出処の天子」と表現し、日本を「日の出る国」と位置づけたことが、「日本」という国名の由来になったとする説もあります。
また、「日本」という国名が英語で「Japan」となったのは、マルコ・ポーロがアジア諸国について記録した「東方見聞録」で「ジパング」と記述したことが由来とされています。これは、当時の中国での日本の発音から来たものと考えられています。
「倭(わ)」と「和(わ)」
中国では、以前は日本のことを「倭(わ)」と呼んでいましたが、日本で漢字の知識が高まる中、「倭」という漢字には良い意味がないとされ、国名としてふさわしくないと考えられるようになりました。
「倭」というこの言葉には小さいという意味が含まれていたため、「倭」の代わりに「和」を使うようになりました。「和」は調和や平和といったポジティブな意味合いを持っており、日本の文化や価値観にも合っていると考えられています。